NRT2024 その4
砂を噛む思い幾たび過ぎるとも
背丸めてまたスタートに立つ
老いを謳った俳句や短歌や俳句は数あれど、その美しさを祝う謳にはあまりお目にかからない。実際老いさらばえていくみてくれや心の事象は美には無縁というより相反するものとして考えられている節がある。日本人の精神性の中には、働かざるもの食うべからず という切実現実的な戒律が基本にあって、滅びゆく美学への概念に憧れるという恐ろしく奥ゆかしい難しい人生哲学が存在するのだ。
昔は姥捨の風習があったくらいだから、子孫の生存をかけて役立たずの老人の命を喜捨せねばならなかったのだろう。つい江戸時代くらい前までは何やらの飢饉だった時は村単位で餓死者が出るのは日常茶飯の出来事であって、死や滅びへの距離が間近であったに違いない。一方時代が戦時や裕福な時でさえ一大事がある時にも日本人とは健気なもので、そういう時にも美しく死にたい、滅びたいという願望があったと見えるから、人権が保障されている現代に生きる我々老人は一体どうやって残りの人生を全うすれば良いものか、難しいものではありますよ。
これがなんで熊本城マラソン参加記に関係あるのかって?
私のフルサブフォー復帰はもし叶えられたらそれはとんでもない美学になると考えているからですよ。もっとも世間様にはこのまま叶えられなそうもないのでそれは一人ホラふきジジイがおったな~くらいの事で済むではないか。
当大会のスタッフに76歳大木通さん、選手に熊本の医師である上野敦弘さん72歳が今度の熊本城マラソンで4時間数分という記録で共に70歳年代別で10位以内でゴールされている。上野さんは足の故障で調整できなかった図なのに素晴らしい記録を出しておられる。彼のFB には熊本城のゴール付近で身体中が痙攣し出して、ゴール後車椅子で運ばれたらしい。その記述には私は心が熱くなってしまった。その場面を想像すると限りなく老いの美学を感じるのだ。そして、それに自分を重ねたいのに他ならないからですよ。せせら笑われてもきっと自分にもその機会が巡ってくる、と信じたいからです。
ほんでもって、自分の熊本城マラソンの総括ですが、一週間前のラウンドトレール完走で筋力をほぐし、本番で4時間50分を狙う筋書きを立てていましたが、結果5時間41分。疲れが抜けていなかったとうよりも、スピ練の練習をやらなかったので、元々の地力がなくなっていたに他ならないです。つべこべ言い訳は無しにしましょう。次のフルの目標「北海道マラソン」4時間40分です。又、ホラ吹いてやがるだって?・・・いいぢゃないですか・・・・。
コメントをお書きください