2009年暮、春のLコースと秋のコースを一度に走ってみようか?と言う話題が忘年会の席上で盛り上がり、そのノリで翌年2010年の春には通しの273kmの試走会を湾岸のスタッフ中心にやってしまうことになる。当然わたしも試走会に出て最終の小浜木場から南本町公民館に向かう途中、北九州の女龍神様に引っ張られながら東京の大事な人が待つゴールまで3kmを切った時点で 人間って一体どこまで走れるのだろう?と思いつつこのままもう一周島原半島周回したら途中で気を失うに違いないなぁ~、と次なる未知のワンステージ300km超えのコース設定をその時にすでに夢見てしまったのかもしれない。というより確かな予感があったような気がする。今思い出してみてもあの残り3kmの不思議な精神状態はどのように説明したらいいのだろうか?
その時の自分自身の走力を持ってしても今回の320kmの参加基準には及ばないかもしれないが・・・。今はそれから10年も経ってしまった。
この大会はゆっくりのランナーでも完走できる可能性が高い大会でありたい、というのが基本ポリシーである。そのゆっくりランナーの基準は実にあやふやではあるがとりあえず10年前の自分の走力においておこう。わかりやすく言えば四万十 100kmあるいはサロマ100kmの11~12時間の完走レベルである。
ただしこのレベルのランナーであってもH部門320kmのランナーの身の危険度を推し測れば当然に走力レベルを上げなくてはならない。300kmを超えると全くどうのような事態が起こるか想像できないのである。
さて本題だ。上記のゆっくりランナーを320km部門を走ってもらいたい。これはこの大会の使命でもある。しかしその人たちを面白半分に死地に追いやることはできぬ。しかしいつかはその人たちの為に特別なルールで320kmの大会を企画してみたいと思っている。それはいつか?と尋ねられても今は即答できかねる。そのためには今年やったこのH部門やW部門を事故なく続けてノウハウを蓄積することなのだ。
*写真はフッキーさんのブログからお借りしました。
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